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宇土小学校
小嶋一浩さんと赤松佳珠子さん設計のすばらしい小学校を見学しました.
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廊下にも光がさらさらと落ちてくる.
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教室の中の光の筒は開閉すると風が抜けていく.
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教室の窓も全て開放して、外の木立に連続している.
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教室は外部のデッキでクルクルとつながっている.
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たくさんの中庭を通して風がそよぐ.
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校内の活動の様子が程よい距離感で見える.
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体育館も外部と全面的につながる.
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L型の白いコンクリート壁が小さなコーナーを内外につくり出している.
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贅肉のない、爽やかの木陰の小学校が熊本にはありました.
久しぶりに感動した建築でした.
by yoshiaki_works | 2011-08-30 20:10 | 建築 | Comments(0)
友 吉田圭一郎
吉田圭一郎の両親は長崎県五島列島の南に浮かぶ小島「黄島」の出身だった.

長崎の吉田の家は原爆被害で坂本町の石段の上に残された「一本脚鳥居」の横にあった.
僕は長崎で3階引っ越したが、吉田とはたまたま小学校,中学校、高校が同じだった.
彼は中学校では体操部だった.懸垂が2回もできない僕は彼の大車輪が眩しかった.

酒飲みの親父ととびきり美人の二人の姉がいる彼の家は学生時代の仲間の溜まり場.
吉田と西田と尾崎や武田や津留崎たちと朝まで飲んで、朝起きてまた飲んでいた.
モーツァルトと小林秀雄と寅さんを語っていた.(酒に弱い僕はほとんど寝ていたのだが)
船乗りの彼の親父は長崎を出港したばかりの船上で亡くなった.55歳だった.
仲間たちと酒を飲み、鐘をついて、爆竹を鳴らしながら、彼の親父を送る精霊舟を担いだ.
僕の妹も提灯を下げて、精霊舟のあとを大波止までついて歩いていた.

東工大で社会工学を修めた吉田は、都市コンサルに勤めて交通計画の専門家になった.
ふらりと福岡に寄って、アラビアやアジアや南米での仕事の話しをしながら将棋を打つ.
今日は東京に帰ると言いながら、酔っぱらって風呂に入ってまた泊まっていく.
彼の話は風が吹き抜けるようで飽きることがなかった.
コンタクトの彼を、娘たちは「うろこのおいちゃん」と言ってなついていた.
役人OBを天下りで引き受けて、国のODA仕事をこなしているうちに、嫌気がさしたあいつは40代で会社を辞めて独立した.それからは国内の仕事が多くなり、博多や大阪で彼と飲む機会も増えた.

僕は50歳すぎて初めて下五島に渡った.
空いた時間に堂崎天主堂を訪ねて御堂のフロアーに転がって天井を眺めていると、聞き慣れた声がする.吉田が離島の道路調査の合間に同僚と天主堂の祭壇を見学していた.
その日は福江島で宴会になった.

その後九州での仕事が増えた彼は福岡に単身で引っ越してきた.
それからは月に一二度は博多や美野島や高宮で焼鳥をつついた.
気の合う飲み仲間が近くにいることに代わる喜びはない.
気兼ねなく怒鳴り、笑い、突っ込み、そしてたまに褒め合いながら飲む酒は格別だった.
いつも「あーっ、うまかった.じゃ、またね.」と別れた.

2007年の盆明けに、小さな台風が鹿児島から上陸して、
2昼夜をかけて九州を縦断してゆっくりと福岡を抜けていった.
風は強くなかった.
雨は降り続いていて台風は福岡の真上にいた.
20時ごろに仕事を切り上げた彼は東京の子どもたちにメールを打ち、
美野島の行きつけで飲んで、
コンビニでアフターシェーブローションを買って、
アパートに帰る途中、
日赤通りで2台の車にはねられた.

嵐の夜に風と一緒にあいつは逝った.55歳だった.
逝っちまったらもう逢えない、
記憶が更新されることは二度となく、ただ想いだすだけ・・・

日赤通りの仏壇屋の大きな仏像が今でも事故現場を見下ろしている.
by yoshiaki_works | 2011-08-28 14:15 | | Comments(4)
大曽天主堂
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青方の深い入り江の片隅に鉄川与助の手になる大曽天主堂がある.
中通島の30棟程の天主堂の中でも5本の指に入る美しい建築.
城夫妻によると、アイスランドで見た木造の教会に似ているそうだ.
地方独特の素朴さの中に暖かみがあり、なつかしい気持ちになる.
洗練されていない豊かさがある.

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天主堂の窓のすぐそばに、入り江の水が青々としている.
天主堂の前庭と細い坂道で信者さんたちが草取りをしていた.
by yoshiaki_works | 2011-08-20 17:28 | 建築 | Comments(0)
親父の庭
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夏の親父の庭はにぎやかだ.
芝生は曾孫のためにきっちり刈り込んである.
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蝉と
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苦瓜と
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南瓜と蜜蜂
by yoshiaki_works | 2011-08-20 14:46 | 徒然 | Comments(0)
上五島
盆の休みは舞母子と城父母子と村長親子で五島に渡る予定でした.
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しかし、東京から福岡に着いたかずたは38.5度の熱.
急遽、舞と婆ばが福岡に残ることになりました.
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満月で大潮の「はまぐり浜」.
遠浅の白い砂浜が輝いていました.
かずたと同い年のあゆむは三日間とも浜に出て、
五島の夏を十二分に満喫して、真っ黒になりました.
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福岡に戻るとかずたは、
ヘルパンギーナとかいう夏風邪と、
突発性発疹を併発していて、
舞と婆ばはへとへとになっていました.
by yoshiaki_works | 2011-08-18 10:22 | 徒然 | Comments(0)
友 福永純三
1周忌の前日に友の霊前に参るために、大阪岸辺のご自宅を訪ねた.
リビングに位牌があって、まわりに思い出の写真達が飾られていた.
「まだお父さんがいなくなった実感が湧かなくて・・・」と
30数年ぶりに会う奥さまは静かに語ってくれた.

位牌の横に彼とバイクで雲仙に登ったときの2枚の写真があった.
40年前に私が自動シャッターで撮ったのものだ.
CB450のシートに両肘をあてて、彼ははにかむように笑っていた.

建築学科に入学したとき、
ひとつ年上だった彼は酒は強かったが、パチンコと麻雀はほどほどだった.
ギターを弾いてフォークを歌ったが、てれ屋で言葉数は少なかった.
運動神経抜群で空手の有段者だったが、乱暴者じゃなかった.
栗色の巻き毛で女の子には持てたが軟派じゃなかった.

彼と私は同じ建築歴史研究室で太田静六教授と土田充義助教授に習った.
太田先生は一昨年サイパンで亡くなられた.98歳だった.
土田先生は今も宗像でザビエル教会再建に全霊をつぎ込んでいる.

彼の卒業研究は忘れたが、卒業設計を覚えている.

JR博多駅と西鉄バスセンターをリニューアルする大きな計画だった.
「福岡のまちでいちばん不便かとは博多駅やん.
博多駅ばなんとかせんと福岡はようならんって.」
歴史研究室のくせに都市計画的で実務的な計画だった.
(ちなみに、翌年私の卒業設計は東シナ海の孤島に建つ修道院.)
そして、大阪の地で彼は最後まで大きな現場の監督を勤めた.

彼が亡くなった翌年の今年3月に新博多駅舎が完成して、九州新幹線が開通した.

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福岡の同級生たちと飲んだ帰り、ひとり千鳥足で駅前広場を歩きながら、
見上げると、新しい駅舎とバスセンターがまぶしかった.
学生の頃の彼が夢見ていた光景がここに在るような気がした.

輝くまちの風景がにじんだ.
by yoshiaki_works | 2011-08-03 10:10 | | Comments(0)
花火
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8月1日は大濠公園花火大会.
多くの素敵な人たちがワークス福岡「ほしぞらBAR」に立ち寄ってくれました.

おすすめのお酒と手づくりの料理をみなさんが持ってきてくれました.
楽しい夏の夕べの一時をありがとうございました.

ベストドレッサー賞は飛鳥工房のひこさん.
by yoshiaki_works | 2011-08-02 16:42 | 徒然 | Comments(0)