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早起き大手門
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朝も早いと、いつも見慣れた風景がちがっている。

ジョギングする人、

犬の散歩をしている人、

まちのゴミをトングで拾っている人、

低い朝の光が今を盛りの蓮の葉の上をサラサラと走っている。
by yoshiaki_works | 2013-08-30 07:09 | 徒然 | Comments(0)
昭和通りのレトロ
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ワークス大手門のすぐそば、

昭和通りにある古い4階建の建物。

なぜかワークスの女子たちに人気がある。
by yoshiaki_works | 2013-08-29 18:58 | 建築 | Comments(0)
にしで歯科の新しいサイン
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5年前に竣工した八女の「にしで歯科」さんが、

おとなり(閉店していた薬局)を購入して、

通りに面したもうひとつの顔をリニューアルしました。

車の進入を容易にして、

わかりやすいサインを新設し、

駐車台数を4台増やして、

あしもとにヘデラと、通用口横にトウヒを植えました。

通りがまた少し明るくなりました。

医院のロゴとマークはプロトハウスの牟田さんのデザイン。

無断で、ロゴをほんの少し太くさせてもらいました。
by yoshiaki_works | 2013-08-28 10:12 | 建築 | Comments(0)
武雄市図書館
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大雨洪水警報発令中の雨の日曜日、最近話題の武雄市図書館を訪れた。
公共の図書館として、賛否両論あるのは聞いていた。

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図書館の駐車場は満車で、道路向かいの商業施設の屋上に車を停めて、
たこ焼きと手巻き寿司を買って、図書館まで歩いていった。

向かいの商業施設よりも図書館のほうが、来客の人口密度が高い。
館内の席はカフェも含めて満席で、外のデッキチェアーに腰掛けて、たこ焼きを頬張った。
7億5千万円かけて、100㎡程度増築し、書庫面積を1.4倍にしたそうだ。
10年前にできた既存の建物も非常によくできた建築だったのだろう。
既存の空間の魅力を活かしながら増幅した演出は成功していると思う。
2階のギャラリーと背の高い書庫が見せ場かな。
木造の傾斜屋根に沿って、見る見られる関係がよい。
メイン空間のうしろにある学習室もすべて満席で、
カフェは外部に増築した方がよかったくらい、賑わっている。

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今まで、私は伊万里と苅田のふたつの図書館が好きだった。
伊万里と苅田は同じ建築家の仕事だが、どちらもここちよい場所がふんだんにあった。
しかし、館内の空気は静かで、少し厳かで、従来の公共建築の枠内にあったし、
建築的にも力強い空間というわけではなかった。

武雄はもとの建築が、周辺地形を意識し、かつ配慮した強い構成をもっており、
内部は素材感に優れたダイナミズムを有していた。
そこに活力ある民間のオペレーションを前提にしたデザインが補強されて、
これほどのにぎわいが実現しているということなのだろうか。

私たちはコミュニケーションを求めている。
知識や芸術や音楽を介した、人と人との、あるいは地域や社会との、
それぞれの体温が違うように、多様なコミュニケーションを求めている。
それは物理的、静的な環境によってではなく、動的なオペレーションと
空間がシンクロナイズすることによって初めて実現する。

コミュニケーションをつくり出す場となることが公共建築の使命である。
公と民との境界をあいまいにして、公の本来的な意味を問い直し、
公共空間を活性化する武雄市図書館をおもしろいと思った。
by yoshiaki_works | 2013-08-26 12:35 | 建築 | Comments(0)
フナムシ
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写真をみてゾワッとする人がいたらご容赦。

親父の家の横を流れる宮の川はすぐ浜に流れ込んでいた。

今は浜が埋め立てられて、岸辺は遠くなってしまったが、

かつての浜には、夜船を出して灯りを照らすと、水底の砂の上を

無数のうなぎが這うように泳いでいた。

宮の川の岸も乱積みの石垣で、石の間に仕掛けをすれば鰻が釣れた。

川岸も間知ブロックになって、平板になってしまったが、

今でも小さな流れには潮が満ちると、河豚や鯔の子がのぼってくる。

かつて岸壁で無数に見かけていたフナムシが、

間知ブロックの上を少しだけ這っていた。
by yoshiaki_works | 2013-08-24 09:44 | 徒然 | Comments(0)
旅立ち
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帰省を終えて佐世保に向かうフェリーには、

島を旅立つ若者を送っているのか、

一束の紙テープが夏風に靡いて、

身重の娘と3歳の孫を連れた、

駆足の里帰りでした。

親父も妹も元気そうでなによりでした。
by yoshiaki_works | 2013-08-23 21:41 | | Comments(0)
かつうらプロジェクト
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「かつうらプロジェクト」の計画地に船がセットされた。
by yoshiaki_works | 2013-08-23 16:15 | 建築 | Comments(0)
学生寮の再生
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九州工業大学明専寮。

老朽化のために平成21年から閉寮していたRC造4階建ての学生寮を
耐震補強を施しながら、新しい時代の要望に応え得る魅力的な学生寮に
再生する。

私たちの提案は、かつて250人の学生が暮らしていたコの字型プランの
東棟を解体して、北棟を4階建てのまま耐震補強を行って男子寮とし、
南棟の上部2層を解体して2階を女子寮、1階を講義室にする提案だった。
南棟は上部2層を撤去することによって、耐震補強を不要としながら、
平面的増築を加えて、中庭のある、プライバシーが確保された寮室を実現
する予定だった。
結果的には女子寮は別途の計画になったが、芝生広場と1階のパブリック
スペースをを挟んで学生寮が向き合う生活スペースは魅力的なものとなった
であろうと思われる。

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既存の学生寮は中廊下形式の平面計画で、4人共同の就寝室と勉強室が
中廊下を挟んで向かい合っていた。
北棟の新しい計画は耐震壁を再配置して、個室の寮室を南面に並べて、
北側の幅広い廊下スペースを、共同のキッチンと洗濯室のある多目的
スペースとした。

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各階に研修室を持つ北側外観は、明るいコミュニティスペースのための
大きな開口が特徴である。

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北西角はキャンパスの中心に向かって開かれて、ラウンジスペースを持つ。

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南面は寮室がならび、アスロックの縦ルーバーが、生活感の表出を適度に
コントロールしている。

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東棟は解体撤去されて、1階の柱だけが残されている。
これは北棟と南棟の1階をつなぐ回廊であり、中庭広場にとって舞台でもあり、
かつての学生寮の記憶でもある。
by yoshiaki_works | 2013-08-23 10:05 | 建築 | Comments(0)
いもうと
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三つ歳がはなれた妹は、おふくろが九大病院でALSと診断されて、
その闘病生活に寄り添うために島に帰った。

おふくろの看病をしながら、島の社会福祉協議会の契約社員として、
介護の現場に身を置いて介護福祉士の資格を取った。

おふくろが亡くなってからも島にとどまり、高齢の親父と叔母の面倒を見ながら、
島中を訪問介護の仕事で飛び回っている。

「利用者さんのうちのそばの海岸にね、こんなすべすべの石ころがあるんよ。
 何でかわからんけど、普通の海岸の玉石と違うて、ほんとにすべすべなんよ。
 色もいろいろあってね、なでると気持ちのよかとよ。」

お盆の中日、風呂上がりに、拾ってきた石ころを並べてみせてくれた。
by yoshiaki_works | 2013-08-21 11:00 | | Comments(0)
旧鯛ノ浦天主堂
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私が生まれた集落の矢倉山を越えた南に、細く奥行の深い鯛ノ浦湾がある。

入り江のさらに奥、小高い斜面に旧鯛の浦天主堂が残っている。

この集落は外海地区出津から渡ってきた信者たちによって開かれた。

初期から養育院や修道院が併設された上五島の中心的な天主堂で、

精力的に活動したブレル神父は、外海のド・ロ神父とも関係が深かった。

私たち家族が長崎に引っ越して2〜3年後、爆心地の長崎大学医学部の
そばの居所にいた頃、長崎駅で女性が電車にはねられる事故があった。
女性は亡くなったが、おなかの子どもは無事に生まれて、この鯛ノ浦の
養育施設で育てられることになった。
と親父が昔を思い出しながら話してくれた。

戦後のまだまだ大変な世相の中にあって、カトリックの人々の献身的な
活動が長崎の人々に深い感銘を与えていたことを想う。


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下見板張りの外壁に木製のステンドグラスは潮風にさらされて傷んでいるが、
昔の面影をそのまま今に伝えている。

旧鯛ノ浦天主堂は創建時には鉄川与助もかかわっていたらしい。
当初なかった正面の塔は戦後に鉄川与助棟梁の手によって増築され、
塔には被爆した浦上天主堂の煉瓦を再利用したとされている。

下に新しい教会ができて、旧天主堂は今は資料館として利用されており、
祭壇にまで上がって資料を閲覧することができる。
by yoshiaki_works | 2013-08-20 10:25 | 建築 | Comments(0)