ON WEATHERING
以前、非常勤講師をしていた時、私が担当して教えた青年が、今、友人の建築家のアトリエに勤務している.

あるパーティーの席で、彼が一冊の本を渡して、
「先生、この本です.読んでください.返すのはいつでも良いです.」
それだけ言って、彼はまた職場に戻って行った.
3ヶ月前のパーティーで、彼が熱く語って教えてくれた本だ.

【時間の中の建築】モーセン・ムスタヴァファ デイヴィッド・レザボロー著

建築は仕上げで終わるが、風化がさらにその仕上げをする.

この主張は、建築学上の最も古い常識のひとつ、建築は時間を超えて存在するという考えを否定するように見えるだろう.事実、建築は時間には克てない.どんな建物も永遠に建ち続けるものはなく、遅かれ早かれ、自然の力の前に屈してしまう.そして最期をむかえることは初めからわかっている.では、自然の力が建物の劣化をもたらすにもかかわらず、どうして風化が「さらにその仕上げをする」と言えるのか?風化は建築を造るのではなく、壊すのではないか?
・・・
建築の「仕上げ」を削りとるなかで、風化は自然の力で建築を「仕上げる」.この風化による浸食は、建物の終わり、その形の生命の死を暗示するものなのだ.したがって老化は、恵みとも、悲劇とも、あるいはその両方とも受け取ることができる.そこで問題が起こる.風化をロマンティックな老化の形としてとらえる一般的な視点のほかに、とどまることのない破壊の進行をあらかじめ予測して、それを故意に企てるような、もうひとつの視点はないのだろうか?すなわち風化を、解決すべき問題、あるいは避けがたい現象とだけ考えるのではなく、それを避けがたい現実と認め、その予測不可能な現れ方を積極的に活用することはできないだろうか?
・・・
口は、キスもするがツバも吐く.キスの唾液を、吐き出すツバとまちがえる人はいない.汚れは必ずしもきたないものではない.はっきりさせなくてはならないのは、表層の痕跡がその建物の傷と受け取られるときの状況である.伝統文化では純粋と不潔の区別は絶対的なものではなく、聖なるものと汚れたものの区別もそれほど明確ではなかった.両者の関係はあいまいで、それぞれが互いの一部でもあった.つまり、汚れは汚くもあったし純粋でもあった.
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表紙の帯「もしも前川国男がこの本を読む機会があったならおそらく快哉を叫んだことは想像に難くない」の言葉通り、読み進むたびに大きくうなづかされる、示唆に満ちた一冊でした..

ページの至る所に、彼が貼った付箋が溢れていた.
by yoshiaki_works | 2009-11-22 12:40 |


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